読まなくてもいい本とは何か?

何もかもが過剰な現代の日本。その辺に転がっている情報は大抵がどうでもいいものばかり、というのが普通になってきました。自分で正確な情報源にありつけない人は、大抵、変な新興宗教に嵌ったり、人に騙されながら生活を送り続けなくてはいけない、そんな荒んだ世の中が現実になろうとしています。

 

実は私の近所にもそういった人を沢山見かけるのですが、ありもしないものを信じ込まされて、平然と白痴のような振る舞いをするようになっています。日本では宗教というものが、権力闘争の道具になってしまっているので、その宗教の伝統が浅いほど、組織がサラリーマン体質になり、そういった傾向が強くなっているように思います。ここで重要なのは海外で伝統がある宗教も日本では新興宗教化しているということでしょうか...恐らく宗教を信じているという属性を持つ人が限定されているということが、まずあって、その上で教団を跨いだ信徒の移動があるからではないかと見ています。多くが他者依存的な生き方をしている人が多いのではないでしょうか?

 

結果、その集団の信奉者の方々は、誰かが始めた、過去のおかしなことを、それがその組織の人間のおかしな振る舞いの特徴であることが衆人に知れ渡っている今になっても、それをやり続けなければいけないという、業を背負わされることになっています。付き合わなくていい人が分かって大変助かりますし、見通しは確かに良いので、悪いことばかりでもないのですがね。でもいいのかな....本当はそういう人を利用するのではなく、自律できるように支援するのが宗教の役割だったはず...

 

彼等は、自分たちの心の平和を求めたのかもしれませんが、結果、自由意志を奪われているようにしか見えません。まあ、世の中広いですから、そういうことに幸せを見出す人間も少なからずいるのですね。私から見ると、貧しい生き方ですが。

 

ただ、そういうことをやっていくと、やがては国全体がスラム化するのが目に見えているのですが、残念ながら、そういった行動がどのような動きと連動しているのかは、末端の人は分からないようになっているというのが悲しいところです。不具者を政治利用するということは、宗教が一番やってはいけないことの一つです。

 

教義というものは時代の要請によって移り変るものです。それは、どの宗教も同じではないかと思うので、真剣に検討を始める時期が来ているということをお伝えしておきます。集団が貧しかった時代の教義がそのまま正当化されている現状というのは明らかに問題でしょう。残念ながら、関わりのある学者や知識人は、金づるとして彼らを利用しているだけで、その点を分かっていながら全く指摘しない悪人がほとんどです。関係者が不幸な生き方を継続していても、それはお構い無しなのでしょうか?信徒たちに対して無責任な態度とは言えないのでしょうか?

 

そういった貧しさを回避するためにも、日々の読書を工夫する必要があります。読書なんて面倒臭いという人もいると思いますが、それは、今まであなたの読んできた本が退屈なものだったからかもしれません。これは日本の教育が完全にイケてないからなのですが、実際には読書とはスリリングなものです。

 

ただ、これを絶対に読まなければいけないという本が一概にあるわけではなく、その人の興味や関心によって、必要なものは異なります。そういうときに、別に読まなくてもいい本を読んで時間を潰すというのは、なんとしても避けたいところです。そして、読まなくてもいい本をあらかじめ知っておく事ができたら、時間も節約できてよいのではないでしょうか?では読まなくてもいい本とはなんでしょうか?

 

1. 漫画雑誌と漫画の単行本

いや、楽しいじゃん?生活に潤いがなくなるじゃん?という方。否定はしません。私もたまにですが漫画本を読みます。でも週刊誌の購入額を月換算すると大体1,000円は越えてしまいます。単行本でも月に500円くらい。好きな漫画家がいればそれだけ出費がかさみます。

 

これらの刊行物は、出版業界という賭博場のような世界で、出版社が定期的なキャッシュフローを確保するために、薄利多売方式で発行しているという側面が強いのです。ですので、その出版社が発行する他の出版物と比較すれば質は当然に劣ります。これらの出版物は紙質からして低級なものということがわかっていない人は余程のお人よしです。

 

実際には、本格的な書籍というものは漫画を読むよりも読んでいて楽しいのです。無論、漫画の話で盛り上がったり、気分転換をするということも大事ですが、社会人になりはじめたら、そればかりにお金を費やすというのは少し考えてみてもいいのではないかと思います。それは、いろいろな面で無駄かもしれません。

 

2. ライトノベルを含む文芸書

これも1.に近いです。いろいろな人の文芸に触れることは、擬似的な経験知を増やしたり、自分の文章表現力を高める事にもつながります。世の中にはこの分野の本ばかりを大量に読んでいる自分を読書家と自称する人がよくいますが、多くは単なる浪費家なので、その人の自慢話はスルーしましょう。話についていけなくても問題ありません。そして、ついていく必要もありません。

 

世間一般に読書好きと呼ばれる人たちを見て、本を読む事にハードルを感じている方は安心してください。この分野の本は読んでいてイライラしたら、その本をごみ箱に、それこそ豪快に勢い良く叩きつけて捨てる。あるいは電話帳を引き裂くレスラーになったつもりで破り捨てるというのが許された数少ない分野です。日本の作家は世間的に「先生」などと言われて、いい気になっている人間が多いですが、実際には現代作家の作品というものは、そういう性質の読み物です。なるべく餌を与えないでください。

 

私の場合、純文学の作家の本は、大抵そのような目にあって、私の部屋から消えていきました。気に入った作家をつまみ食いするのが一番おいしい読み方ですが、なるべく長く読み継がれている本を選ぶのが読まなくてもいい本を読まずに済ますコツです。目安としては100年くらいの年月を経ても読まれているものということになるでしょうか?

 

読書が嫌いという人は、一冊本格的な古典の長編を探して読むだけにして、その後、この分野の本は読まないという方法をお勧めします。実際、読書が嫌いだった理由というのは上述のような退屈な本ばかりを手にすることが多かったからだと思います。

 

これらの本は実際、読まなくても死にはしません。が、例えば日本の近代文学ロシア文学を含む実存主義文学、ポストコロニアル文学の影響圏から現代は未だ脱する事が出来ていません。

 

3. 一部の宗教書

この分野の本は、あなたの道を誤らせる可能性があるので、一番警戒しなくてはいけません。なぜならば、あなたに対して本に書かれている内容の実践を求める記述が含まれていることが多いからです。できれば、読み方の指導ができる専門家と共に理解を深めていくというスタイルを取る事が望ましい分野なので、軽はずみに手を出すと確実に火傷します。1,000年単位で長く読み継がれていないものを手にする必要はありません。これが一つの基準です(基準に満たない場合はただの文芸書です)。そして、普通の宗教は迎合ではなく自律を促します。

 

これは大事なことですが、生きている人間が神や仏になるという教義があったら、それは明らかな嘘です。それが現実になるのだとしたら、福音書の記述通りに事が運んでないとおかしいのです。神の復活というものに対する信仰というのは、「私は神だ!」と血迷ったことを言い出す人間に楔を打っているということで、ほぼ間違いありません。それ故に、キリスト教者は、この復活思想をとても重要視するのです。そのようにして実際に集団内部における平和を実現していったのでしょう。福音記者は当時として一級の教養を持った人間以外には考えられません。

 

ヨーロッパ語族における冠詞や不定冠詞の概念は、そのような独特の文化を持つ西洋世界に特有のものです。日本人がこの点について理解に苦しむのも無理はないのです。普通の語学書には世界観の違いが文法の違いとして現れている事に対する説明がないからです。 信仰が言葉の形式まで支配している。そこまで徹底している宗教は他にあるでしょうか?

 

4. テレビやネット動画で影響力のある人が書いた本

テレビやネット動画に影響されやすい人用の本です。内容が薄く、紙面も余白が多いのが特徴的です。いますぐごみ箱へ放り投げましょう。

 

5. 成功者や経営者の体験談と名言集

読んだからと言って金持ちにはなりません。また仕事ができるようにも勿論なりません。社長になりたいというメンタリティだけが強い方は実際に会社を作ってみればいいと思います。だいたい50万円くらいの余裕資金があれば充分でしょう。そのための本を買った方が役に立ちます。

 

6.ビジネス関連のハウツー本

ビジネス環境というものは千差万別、十人十色です。誰かのベストプラクティスを真似たとしても、言語化されていない要素の方が多い事がほとんどです。事例収集は大事ですが、それがそのまま複雑なビジネス環境に応用できるわけではありません。「こうすればうまくいく」というような定石は自分でつくるものです。

 

7.海外の大学名などのブランドをタイトルに掲げている本

思考停止した人間の読む本です。専門書というよりは文芸書です。いますぐごみ箱へ放り投げましょう。

 

8.フランス現代思想

3.を参照してください。フランス科学思想とはまた別物です。重要概念が日本語に翻訳できないようになってます。専門書というよりは文芸書として扱うべきものです。

 

9.サイバーセキュリティを文化/社会問題として扱う本

問題を具体的に把握していない証拠なので読まなくていいです。この手の本の著者は詐欺師です。

 

 10.最近の非専門家が書いた通史

歴史とは本来個人的な興味関心に応じて現れるものです。客観的な歴史などというのはありえません。で、21世紀の今でも一次史料にアクセスできる人は限られていますので、そんなに簡単に歴史を語るなどということは構造的にできないようになっています。研究機関に所属しない人が通史を語るという場合、注釈を確認して、しかるべき資料にきちんとあたれているかを確認してください。それができていない人の本は読まなくていいです。

 

11.こうすれば健康になることを謳った本

読まずに最寄りの医者から直々に健康指導を受けてください。問題の多くは運動不足と栄養失調からくるものです。先ずは食生活を筆頭に生活習慣と安易な情報に頼るその姿勢を改めてください。参考までに有用情報のリンクを載せておきます。

 

12.多くの四六判

 印刷代が安いからでしょうか...恐らく出版されている本が多いのがこの判型の書籍の特徴で、その分、ハズレが多くなってます。良い書籍を安価に世の中に届けたいという出版社の企業努力が結晶した本と、ただ本を売って金を稼ぎたいというだけの不届き者が書いた本が混在するのが、この判型の世界です。学術出版系の本は比較的良書が多いですが、一般書は混沌を極めます。本当に読書が好きな人はこの判型で良書を探すのが得意です。

 

13.最近の新書の一部

日本の高等教育は学生運動以前と以後で大分質が違います。以後の教育に属する学者の書いた本は、質的に劣ることが多くなりました。その影響が、学者とボリュームゾーンの読者層との接点である新書で顕著に現れ始めています。それは岩波や中公といった長い歴史を持つ新書においても例外ではありません。それだけ、日本の大学が荒廃したのです。で、この大学を荒廃させた世代と、そういった世代の人間を信じ込んで、飼われている事に気づかない不具な人間というのが、今でも世の中に害悪を垂れ流しているというのが実態ではないでしょうか...要するに不具な人間の再生産のサイクルが回っているわけです。このことの意味をよく考えましょう。

 

14.タレント化した学者の書いた本

ある意味で、一番、読んではいけない本かもしれません。印税収入の味を占めて、学者としてはもう完全に腐っている可能性が高いです。悪しき人間中心主義者というのはこういう人たちのことを言います。同様の特徴を持った人にも注意しましょう。

 

さて、いかがだったでしょうか。この記事を読んだ後、書店に行って手にとれる本がどれだけ書棚に並んでいるでしょうか?無論、上述の本の中にも見るべき物がないわけではありませんが、優先順位は低く設定しておいた方がいろいろな面で無駄を省けます。書店に足を運んだ時に、読まなくてもいい本以外の本が、児童書と趣味の雑誌だけということになったのであれば、その書店はあまり良くない書店です。そこで時間をいくら潰しても得る物はとても少ないです。

 

できれば一度、都道府県や政令指定都市の図書館や、大学図書館に行って蔵書の違いを確認してください。一番良いのはミッションスクール系の大学図書館になるでしょうか?これはキリスト教入信をお勧めしているわけでは断じてありませんが、現代の図書館というシステムがキリスト教世界の影響が強く反映された施設であるということを踏まえないといけません。資料収集の目的が明確なので、質的にも優れている場合が多いです。

 

本を探しに行く場合、いきなり書店に行くのではなく、上述の図書館に行くということが習慣化していれば、あとは期間内に読みきれない本を最寄りの書店で注文するだけ、あるいはアマゾンで購入するだけというようなシステマティックな方法を取ることが可能です。図書館の使い方が分からなければ、図書館に行って図書館の使い方の本をまずは読んでください。

 

もっと時間を節約する方法があることも確かですが、かけた労力に応じて読む本の質が磨かれていくことを考えると、ここで申し上げたことを実践されるのが一番良いと思います。急がば廻れです。